協会活動報告と会員情報
【BtoB コミュニケーション研究会若手部会活動報告】「乃村工藝社「EXPO GALLERY」見学会を実施」
2026-05-07
3月12日に会員企業24人が参加し、大阪市で株式会社乃村工藝社の「EXPO GALLERY」見学会を行った。BtoBコミュニケーショ ン研究会若手部会が主催する初めての企画として開催した。万博の魅力とその影響に関する講演、エキスポギャラリー見学、そして大 阪・関西万博の記録映像の上映という三本柱で構成され、見学後は乃村工藝社の関係者を交え、交流懇親会を行った。
乃村工藝社は、1970年の大阪万博から昨年の大阪・関西万博に至るまで、空間デザインを通じて社会に新しい価値を作り続けてきた。 今回見学するエキスポギャラリーは、かつての南海ホークスの本境地、大阪球場跡地につくられた「なんばパークス」に設けられてい る。同社が培ってきた長い歴史と創造のエネルギーが詰まっており、国際博覧会が社会に投げかけてきた未来への問いが鮮やかに残さ れている。
講演「博覧会の魅力とその影響」
始めに乃村工藝社学芸員の石川敦子氏が、博覧会の魅力と社会への影響をテーマに講演した。12歳の時に70年大阪万博を経験した体験を交えながら、「万博とは何か」という根本的な問いから始まる熱のこもった話を伺った。
万博は1851年のロンドン万博に始まる。そこには当時の最新技術が集められ、目的は産業革命で躍進した英国の国力誇示と植民地支配の可視化であった。1900年のパリ万博では動く歩道や自動車・飛行機の原型が展示され、規模の大きさから「万博の中の万博」と称された。1933年のシカゴ万博では初めて統一テーマが設定された。
1970年大阪万博に大きな影響を与えたのは、企業主導で「観客を感動させる展示」へ転換したニューヨーク世界博(1964~65)と、革新的な映像表現が登場したモントリオール万博(1967)である。大阪万博は「人類の進歩と調和」を掲げ、太陽の塔や未来的な映像展示が来場者に強烈な印象を残した。ちなみに万博の統一マークは、大阪万博前年の1969年に日本の学生がデザインしたものが公募で入選し、以降ずっと使用されている。
1990年代の欧州万博の赤字を受け、BIE(博覧会国際事務局)は万博の意義を「地球的課題の解決」に再定義。2005年の愛知万博はその転換点となり、自然に配慮した会場設計や市民ボランティアの導入が特徴となった。ICカードやミスト噴射など、現在の日常にある技術もここから普及した。
万博は創造的建築物や実物展示の力、多角的に語れる文化イベントとしての魅力を持ち、開催地は欧米からアジア、中東へと移り変わり、国際社会の力学を映してきた。生活文化への影響も大きく、カジュアルファッションの普及、フライドチキンや回転寿司の登場、缶コーヒーの流行などが万博を契機に広まった。石川氏は、万博は社会を変える新しい文化や技術が芽生える場であり、「未来の始まり」が常にそこにあると締めくくった。
貴重な資料を展示「EXPO GALLERY」
乃村工藝社は2001年、コレクターである寺下勍氏が40年かけて収集した博覧会資料の寄贈を受け、「私蔵せず社会に役立てる」という条件のもと整理と公開を開始した。巻かれたポスターも破損を避けるため開いたまま保管し、約3年半かけてデータベース化を実現。現在も登録が進み、大阪・関西万博関連だけで約640点、最終的に1000点超が見込まれる。2023年にはエキスポギャラリーが開設され、博覧会の歴史資料を予約制で公開している。ここでは博覧会の通史を示す多彩な資料が収蔵されており、各種ポスターやパンフレット、イベントのシナリオ、中には箸袋やうちわなど捨ててしまうようなものもあった。日本BtoB広告協会会員企業に関する収蔵品も見られ、参加者は興味深そうに鑑賞していた。
記録映像上映「大阪・関西万博における乃村工藝社の取り組み」
最後に、25以上のパビリオン・出展ブースを含む50以上のプロジェクトに携わった乃村工藝社グループの記録映像を視聴した。設計・制作・施工・運営の各フェーズを通じた担当社員の生の声とともに、各パビリオンの製作プロセスが紹介された。同社は多様なパビリオン制作を担当し、技術・演出・運営で高い品質を実現した。若手育成や海外展開も進み、社員は挑戦と成長、万博の意義を強く語っていた。
交流懇親会を開催
交流会はなんばパークス内のレストランで行われた。5人の若手部会委員のほか、大阪、東京から参加した会員企業の面々と和やか に懇談し、見学会の感想やそれぞれが取り組んでいる事業の内容などについて語り合った。





